もっと以前にご報告すべきでしたが、日々諸々の仕事に終われ何年も経ってしまいました。
6〜7年以上も前の事ですが、以前お教えさせて頂いた社会人の生徒の方が外務省の外郭団体、フレンドシップ協会に長年お勤めで、その方のご紹介により外務省内で配布されていたジャーナルに私のインタビュー記事が掲載された事があります。共にエムキュー・スタジオを長年教えている高橋講師が一言、「クイニー先生がでる記事はいつも大変著名な方と一緒に取り上げられますね(笑)」名声とお金には縁がないのは確かです。
その後、これが切掛けとなり、文科省が小学5年と6年に英語授業を始めるにあたり、フレンドシップ協会からスタジオの生徒で小学校の先生のアシストで教える人を紹介してほしいとの依頼を受けました。ここで書く事が良いのか迷いますが、各分野で英語力を生かし既に活躍している優秀な生徒が提示された大変に低い1時間の報酬で教えるとは考えられません。
そこで、小学生からフォニックスを始める事が最も有効と考え、是非私に教えさせてほしいとお願いしました。この額の報酬ではとてもお願い出来ませんと言われましたが、私の教えたい方法で教える事が許されるのなら是非お願いします、と申し上げ、世田谷区のモデル校の一つである小学校で教え始めました。
教え方について校長先生は大変な理解と興味を示され、「私の高校生の娘に小学校から英語を習わせましたが、今になって何の役にも立っていません。クイニーさんの教え方であればもっと効果があったかもしれません。」とおっしゃって下さいました。
ところが、元々英語を専門にしていない小学校の先生が、文科省が作ったマニュアルの指示通り「書かない、読まない事、聞く事と話す事だけを教える」を主張し、最初から協力を得られませんでした。また「DOG」を「DORG」と発音する生徒に『そう、英語らしく発音する事がとても大事なのですよ。』そこで早速黒板に「dog」と書き、間に「r」が入っていないので「dorg」とは発音しません、と説明しました。ご想像通り、一から万事全てで衝突するあり様。当初からの文科省の指示により、同じアシストの先生を6ヶ月以上雇ってはならない」との規制がありましたので、最初の情熱は徐々に冷め、後半は早く終わらないかと思い始めました。
5年生と6年生の5クラスを週に2日担当し、フォニックスの本を240枚自前でカラープリントし、大雨の中タクシーで運び、最初の1回目以降は先生が集めて棚にしまい込んだまま、費やした時間と費用、また熱意と努力は何だったのかと今でも納得出来ていません。
過去に何度となく経験しましたが、私立公立を問わず、学校とそこで教える先生方のプライドと聖域意識、閉鎖性、特に日本人の先生には教えられたくないという感覚、英語が母国語でない、または日本人に英語を教える経験知識を持たずとも外人なら誰でも教えられると、文科省を含め大多数の人が持っている固定観念ではないでしょうか。
分かってはいましたが、やはりその壁は大変高く、乗り越えられませんでした。戦後70年、英語が学校での教科となって60年以上、誰もが中学高校の6年間、英文科ですと大学を含め10年、それでも先進国と開発途上国の世界中の人達の中でも日本人の英語力は最下位。いつになったら今までの固定観念や教え方を変えなくてはならないと気付くのでしょうか?
英語を話せない子供達の割合が特に多い米国南カリフォルニア州や多くの州が導入したフォニックスを、何故日本で使わないのか不思議です。フォニックスを日本人に教えるに不可欠な発音を明確に理解し、教えられる人材がいないのも確かです。またローマ字とカタカナで書かれる英語はあくまで日本語です。ローマ字を習う前に小学校の低学年から英語のアルファベットを英語読みで習い、その後に日本語入力でアルファベットを使用するローマ字を教えるようにはならないのでしょうか?
英語さえ出来れば鬼の金棒と考える親御さんが増え、日本にある国際学校の数が増え、国際学校とは言え半分以上か殆どが裕福な日本人のお子さん達、大きなビジネスとして盛況し続けています。かつて子供3人を国際学校に送った経験からも、日本語も英語も中途半端、母国語が不明確、親子の真のコミュニケーションに困難をきたす例を多く見聞きしてきました。特別な才能を開花できれば英語力は大いに役立つと思いますが、日本が誇る理数学や世界が評価する繊細な日本文化と価値観を捨て、アイデンティティーを持たない無国籍人に育てる事になる可能性も考えてほしいものです。
英語は書き言葉と話し言葉は殆ど変わらなく、80%以上が同じです。違うように聞こえるのは、単に細かい音が聞き取れないだけの事です。お時間がおありの時には、どうか是非一度、当教室の教え方に付いてホームページでご確認下さい。
実は、私達の教え方が広まり学校教育に導入されてしまうと、教室を続けていけなくなります。私達一代限りの仕事として、それでも良いと考えています。いつまでも英会話学校や英語学校並みの国際学校がビジネスとして存続し続けるのではなく、日本の学校教育で、国際人として世界の何処であれ、快く受け入れられ認められる正確な英語を話す日本人が増えてほしいものです。それが私達の